http://frame.s26.xrea.com/doc/Thinking/01.shtml
ホームページ(以下サイト)を作る人も、見る人もサイト・ナビゲーション(以下ナビ)は御存じかと思います。 御存知では無い方に軽く説明致しますと、サイト内にあるデータ(多くは文書や画像)にアクセスする為のリンクの事で、 それは、疑似タブ式であったり、ページの横にまとめてあったり、上部にあったり、『TOPに戻る』だけだったりします。
ナビはサイト構築にあたって無くてはならない最低限のものと言えるでしょう。そして、それは見る側だけでなく作り手にとってもわかりやすく、使いやすくなければならない、というのが私の持論です。(私の、というか一般的にもそのような思想は存在すると思いますが)
では、わかりやすく、使いやすいナビゲーションを作るにはどうすればいいでしょうか。
サイト・マッとはサイト全体を見渡すことができる、いわばディレクトリ構造を表したリンク集のことです。 そして、これこそが最もわかりやすく、使いやすい、そして作りやすいナビゲーションだと言えるでしょう。
当然、ただ単に作った文書のリンクを淡々と並べただけでは長すぎるナビはうざいし、視覚的にもうるさい。
などと言われかねません。この2点についての筆者の考えを以下に記します。※あくまで筆者の考えであり第三者にこの考えを押し付けるものではないことを御理解下さい。
結論から言うと、長すぎる(一般的には縦長を意味します)からうざいということはないと思います。長すぎるということは、公開している文章(ドキュメント)の数が多いというだけのことです。「うざい!」と感じるのは、ナビのリンク文字がよほど解りづらいということに起因するのではないでしょうか。確かに、サイト更新を続ければ必然的にナビゲーション(目次)の量も増え、容量も増えます。しかし、ナビの要約やリンク言葉を明瞭にするといった工夫を行えば少なくともナビが長過ぎる為にわかりにくくなる、というようなことにはなりえないはずです。
そして核心を突くならば、長すぎるナビがうざい
のは、フレームで分離せずに文書内に存在しているから、なのではないでしょうか。※ナビと文書の分離問題については後述します。
視覚的にうるさいということは則ち、これもまた、あまりにも膨大な数のリンクが存在するということでしょう。しかし、これは作り手のセンスの問題でありナビの本質とは無関係、だと思います。前述したが、いかに要約することができるかということがポイントとなるだろう。
また、視覚的にうるさいのは任意でナビゲーションを外すことが出来ない場合、ということも考えられます。※残念ながら、これはスクリプト等を使用しなければ完全なものはできません。
サイト・マップが有益なナビゲーションとなる、つまりナビ=マップ。だとすれば、サイト・マップを完璧(わかりやすく、つかいやすく)につくればナビゲーションというものはそれで事足りることになるのです。
ナビゲーションと文書とを繋ぐ(リンクする)方法は通常はアンカー(a要素)で行うが、head内にリンク要素を付けることで対応するブラウザの機能を使ってジャンプすることも可能だ。当然、ブラウザの機能に依存するのでこれだけに頼るのはどうかと思う。将来的にlink要素をサイドバーなりに表示してジャンプできるようなブラウザがシェアを占めれば有用だとは思うが、どちらにせよサイトマップのような規模の大きなリンク集を作るには不適当だろう。ディレクトリ構造も解りづらい。[参考:iCabを極める]
話を戻すが、文書のナビには大枠、「大」「小」の2つがある。そして読者の要求も2種類。則ち、連続するA・B・Cの3文書があった場合、A→B→Cの順序通り(あるいは逆行してC→B→A)に読みたい場合と、A→C(あるいはC→A)と順序は無視して読みたい場合。この2種類だ。
この両方を満たすナビがサイト・マップであることはもうお分かりであろう。そしてこのサイト・マップが『大ナビ』に該当する。そして、ある一定のジャンルについての文書を複数(2ファイル以上のドキュメント)記述した場合には原則として前後関係が存在する。その関係は単に初回更新の順であったり、膨大なテキスト量を分散させたものであるかもしれない。そして、いずれの文書にも存在すべきナビは「前へ」か「次へ」の2つである。本で例えるならば、めくるか戻すか。(前述したlink要素にもprev(前へ)next(次へ)という値が存在する。)これが『小ナビ』である。
1ジャンルの文書群を『小ナビ』でグループ化し、グループ化された文書群を『大ナビ』でグループ化する。
しつこいようだが、完璧なサイト・マップはナビゲーションも完璧に近い。サイト・マップ(目次)が常駐できる仕組みはペーパーメディアには(目次をコピーでもしない限り)不可能なシステムなのである。これはホームページをある程度作り込んだ人なら容易に理解できよう。そして、それを満たす為に効果的な手段として『フレーム』は存在する。フレームのもたらす恩恵とは、移動距離の短縮にある。
そして、その『常駐』という「いつでも好きな(読みたい)文書を呼び出すことができる」状態は人の心理に作用し『読ませる』ことができよう。テキスト制作者は第三者に『読んでもらいたい』から『書く』のだ。
正しいフレームスタイルの利便性(ナビゲーション)の追求と提供。これが当サイトのテーマである。
このサイトの生い立ちは、とある掲示板で議論が起こり(というよりも一方的に筆者が起こしたものだが)派生したのが理由だが、その掲示板にとあるサイトからの引用が投稿されたので紹介(引用)並びに筆者のそれ対する意見を記しておく。
Personnel - 2001/7/1〜15 - agenda - Personnel
私は、サイト構造を明確に示したナビゲーションの存在は、ウェブサイトの構築に是非とも必要なものだと思っている。各文書が、全体構造を示したファイルと直接結び付くことで、初めてウェブサイトたり得るのではないか。結果としてユーザビリティを高めることになるが、本質的な意味はそこにあるのではないかと思っている。
ところがフレームでは、サイト構造と各文書を論理的に結び付けることはできない。視覚的に結び付いていることができるのでさえ、玄関となるトップページを開いた時だけである。ゆえに私はフレームを用いてサイト構造を分離しようとは思わない。
サイト構造を明確に示したナビゲーション
のくだりは、前述の通り筆者も同じ意見だ。しかし、2段落目のフレームでは、サイト構造と各文書を論理的に結び付けることはできない
というのはどういうことなのだろう。そもそも論理的とはどのような理なのかを考えてみたい。
言うまでもなく、サイト構造と各文書を繋ぐのはナビゲーション、つまりリンクである。論理的な結び付きというのは非常に難しい言葉である。その論理の定義がどのようなものなのかははっきりと記されていないが、つまり、全体構造を示したファイルと直接結び付くこと
=論理的結合、だと推測する。だとすれば、フレームでは、サイト構造と各文書を論理的に結び付けることはできない
というのは疑問を残す言い回しだ。何故ならば、文書を結び付ける手段は先述したように『リンク』なのだから。フレームは無関係である。
全体構造を示したファイルを表示するフレームは、むしろ、サイト構造と各文書を論理的に結び付けることをより効果的に表現するものだと、私は思う。もちろん、非フレーム状況下において論理的に結び付かないということではない。
また、ゆえに私はフレームを用いてサイト構造を分離しようとは思わない
というのも比較対象外であろう。構造をもったサイトが『分離』できるはずがない。フレームであろうとそうでなかろうと、呼び出された文書に目次を表示させるアンカー(小ナビ)が一つあれば、それは論理的に結び付いているのだ。